センター大学 国際文化学科4年 井上由梨香 <4号 2020年3~4月>

はじめに

 今回はspring term期間について紹介します。新型コロナウイルスの影響が世界中で深刻ですが、私のような交換留学生もその影響を大きく受けたうちの一人です。結論から言うと、県立大学からの交換留学生は全員3月に緊急帰国しました。このことについても報告していきたいと思います。


料理好きなベトナム人の友達がラーメンを作ってくれました。スープも手作りです。

新型コロナウイルスの影響について

 アメリカでの学校生活や授業形態も大幅に変わったので、まず先に新型コロナウイルスが私たちに及ぼした影響について書きます。
 2月までは「コロナは主に東アジアで流行している」という認識で、私も日本にいる家族や友人の心配をしていましたが、だんだんヨーロッパやアメリカでも感染者が増えていきました。大学のあるケンタッキー州でも感染者が出始め、授業や食堂に行くたびにコロナの話題が必ずと言っていいほど出るようになりました。今までは個人で自由に取るビュッフェ形式だった食堂も、感染防止のためスタッフの方が全てよそう形式になったり使い捨ての皿やカトラリーを使用するようになったりしました。手を洗うことやソーシャルディスタンスを取ることも強調されるようになりました。そしてついに、春学期の授業が全てオンラインに移行することが決定されました。元々3/21~3/29は春休みの予定でしたが、それに更に1週間休みが追加され、その間に学校側がオンライン授業の準備を整えるとのことでした。春休みまであと5日間は通常通りの学校生活があるということで、その間にパーティーをしたりお別れの挨拶をしたりしようと話していました。しかし、日々悪化していく状況を考慮してか、「やっぱり明日から春休みに入るので5日以内に寮を出て」とのメールが来ました。センター大学は学生のほぼ全員が寮生活をしており、学年が変わるごとに住む寮も変わります。そのため、春学期の期末テストが終わったら毎年自分の住む部屋から荷物を全て撤去しなければいけないそうなのですが、それをこれから5日間の間にして家に帰ってと急に言われたのです。幸い、私たちのような留学生やすぐに飛行機のチケットが取れない、授業に集中できる環境がないなどの特別な理由がある人は寮に残ることができ、食事も朝昼晩学校の食堂でとることができました。しかし、突然友人やお世話になった人と別れなければいけなくなったのです。学校からメールが来た時私は食堂で昼食を食べていましたが、メールを見てみんな複雑な気持ちになったし、泣いている人もたくさんいました。4年生は5月の卒業まで友達と過ごすことができず最後のイベントやスポーツの大会なども全て中止になったからです。4年生との別れはもちろん、1年間の交換留学生も、つまり私たち自身も、来年度はアメリカにいないため突然の別れを経験することとなりました。猶予は5日間ありましたが、初日から帰ってしまう人もいたため、お別れの時間が少ししか取れないこともありました。メールが来てからは毎日誰かが泣いていましたし、私もたくさん泣きました。これから一緒に色んな所に行こうねと話していたルームメイトも荷物をすべて持って家に帰ってしまい、部屋がガランとしてとても悲しかったです。


コロナ対策で一つ一つ袋詰めにされた食堂のパンとベーグルです。

センター大学での最後の晩餐です。

 次に私がどうしたかですが、まだオンライン授業になるとの決定がされる前、スペインに留学していた人たちが緊急帰国したということを聞き、私たちにも帰国要請が出るかもしれないと思いました。それからは毎日感染者数のデータ、各国の対応などをチェックしたり、県立大学グローバル部門の方やゼミの先生、親と相談したりし、帰国した場合、残った場合、その際に生じるリスクについてたくさん考えました。それでもその頃はヨーロッパでの感染爆発は起きていたもののアメリカではまだそんなに感染者数がおらず、学期末まで予定通り残ろうと考えていました。しかし、だんだん感染者数の増加スピードが速まり、日本がヨーロッパからの入国に規制をかけ始めたりアメリカ国内でも州ごとにボーダーを閉じるかもしれないという話を聞いたりして、今帰らなければ5月に帰りたくても帰れない状況になるかもしれないと思いました。その時センター大学のある地域に感染者はおらず日本の方がかえって危ないという思いや帰国する際に空港で感染する恐れもあったので本当に迷いましたが、最終的に日本がアメリカからの入国規制をかける前に帰国する決断に至りました。決断して3日後の飛行機のチケットを取り、急いで帰国準備とキャンパスに残っている友達やお世話になった人との最後のお別れをしました。部屋の片付けとパッキングをしなければいけないけど友達と会えるのも最後なのでとても忙しかったです。帰国前日の夜ごはんはキャンパスに残っているみんなと一緒に食べ、写真もたくさん撮りました。そして翌日の午前3時半にキャンパスを出発し、約25時間後に家に着きました。帰国後、日本ではアメリカからの入国規制がかけられ、アメリカでの感染者数もどんどん伸びて遂に世界一となりました。早めに決断することができて良かったです。やむを得ず帰国しましたが、その頃海外からの帰国者の感染が多く、私たちにも厳しい目が向けられるような状況でした。帰国後2週間は一歩も外に出ず、その後もできるだけ外出しないようにしました。ずっと家にいたので、時差ボケが2週間治らず辛かったです。


すっかり空っぽの私の部屋です。以前の部屋は第2号に載せています。

春学期の授業について

 春休みが明けた4月からオンライン授業が始まり、私は日本で授業を受けたり課題をしたりしています。授業にはZOOMが使われています。アメリカとは13時間時差がありますが、教授たちがそのような生徒も単位を取ることができるようサポートしてくれているので助かっています。今回はオンライン授業がどのように行われているか紹介します。

CHN 120 Fundamentals of Chinese-Ⅱ
 月・水・金の朝10時20分から40分間授業が行われます。日本時間では夜の11時20分からです。夜遅い時間の授業なので早く寝ることはできませんが、画面越しでもみんなと会うことができて嬉しいです。普通の授業と同じように生徒が発言する時間がたくさん設けられているので、楽しく意欲を持って取り組めます。毎週の課題や小テスト、2回目の中間テストは全てWordでタイピングして提出し、プレゼンは授業時間に画面共有の機能を使って行いました。あとはペアでのスキット発表と期末テストを残すのみです。授業時間が短くなり、以前よりサクサク進むため自分で勉強しなければいけない部分もありますが、クラスのみんなと会えるのが毎回楽しみです。

ARS 210 Introduction to Oil Painting
 絵を描くには道具が必要なので、購入した画材をほとんど全て日本に持って帰りました。帰国時のスーツケースの場所を取りとても重かったです。先生がその週の課題のやり方をPDFと動画で送ってくれるので、それを見ながら課題を進めています。学校で課題をしていた時は他の生徒と一緒に取り組み作品も参考にすることができましたが、今は完全に一人で進めていくため少しやりにくいです。残すは最終プロジェクトで、最後の授業ではZOOM上で先生に直接評価をしてもらう予定です。


課題で紙を描きました。影やしわが難しかったです。

ENG 170 Topics in Writing
 オンライン授業はなく、先生が毎週送ってくるメールを読み、課題をこなします。課題は主に2~3ページのレポート提出です。授業形態が変わってからは、レポートのトピックが全てコロナに関するものになりました。これまでは、コロナの騒動を通して自分が得たもの、良いリーダーとは何かと実際のリーダーの批評、これからどうしていくべきかの提案をテーマに書きました。元々期末テストがある予定でしたが、レポート提出に変わりました。コロナへの対応はまだ各国模索中で、日々新しい情報が出たり何が良いか悪いかも結果が出ていない状況であったりするため、書くのが難しいです。

MUS 120 Materials & Structure of Music-Ⅰ
 毎週火・木に授業が行われていますが、日本時間で夜中の3時20分から始まるため、先生に相談して授業は録画を見ることになりました。テキストはポータル上にアップしてあるので自分で予習・復習ができます。以前より難しくなり課題も増えたので時間がかかりますが、好きな音楽なので楽しくやれています。最終プロジェクトでは曲を1つ作る予定です。

MUS 191 Centre Symphony Orchestra
 3月中旬にコンサートがある予定でしたが、中止となりました。今までコンサートに向けて沢山練習してきたのでとても悔しかったです。オーケストラは一人一人が集まって初めてできるものですし、オンライン上でやるにも演奏する環境や楽器が必要なので4月以降は何もされていない状況です。

終わりに

 初めての状況で混乱も多く、3月はとても大変でした。留学の最後の2か月は特に大切な時期だと思っていて、急遽帰国しなければいけなくなったことが本当に残念です。日本で授業を受けられているだけまだ良いのかもしれませんが、アメリカという国で、英語に囲まれた環境で、親切な仲間たちと共に学校生活を送りたかったです。残された期間でしようと思っていたこともできなくなりむなしい気持ちでいっぱいですが、帰国後は何とか切り替えて授業と課題に取り組んでいます。最後の1週間、テストや最終課題を一生懸命頑張ります。

友達とハイキングに行きました。大きな岩がたくさんある険しい山でしたがとても楽しかったです。
これが最後のハイキングとなってしまいました。