はじめに
あれだけ待ち遠しくしていた帰国も、数週間もすれば、また日常と化していきました。とはいえ、未だに朝起きるとスペインにいた頃の様に、ベッド横の壁を撫でて電気のスイッチを探してしまう朝が続いています。今回の報告では、ナバラ州立大学での交換留学生活の10か月を振り返りたいと思います。
秋学期
パンプローナに到着して二週間はドミトリーに宿泊していました。その間、留学生のためのオリエンテーションやスペイン語の授業が始まっていました。この時留学生の間では、すでに母国語同士で集まるコミュニティができており、英語圏のグループや中国語圏のグループをうろうろするので精一杯でした。これから始まる学校生活に上手く馴染めるか不安でいっぱいだったことをよく覚えています。
授業が始まり、毎日が分からないことや理解できないことなど、壁にぶち当たる日々の連続でした。スーパーに売っている目新しいものやきれいな街並みなどに感動していたのは最初の数日間だけで、買い物をするにも会話が発生するので、まずは基本的な話すスピードや語彙を覚えるところから始まりました。最初の数週間は多少英語を混ぜてスペイン語の授業が行われていましたが、途中から完全にスペイン語に切り替わったので、簡単なスペイン語の文法を流暢なスペイン語で解説されたときにはとても混乱しました。
円安の影響で寮に滞在することが難しくなり、10月頃から少しずつ引っ越し先をスマホのアプリを使って探しました。費用や条件が合う物件のオーナーさんに片っ端からメールを送り、何件か内見にも行きました。まだ自分のスペイン語に自信がなかったので、一軒内見に行くのにもとても体力を使いましたが、シェアハウスは内見なしでは引っ越さない方がいいという友人の言葉を信じて頑張りました。他のシェアハウスに住んでいる人で大家さんや同居人と揉めている話も何回か聞いていたので、今は内見をしてよかったなと思います。
春学期
春学期になると秋学期でできた友人たちはほとんど母国に帰ってしまい、新しく留学に来た人たちと同じクラスになりました。私以外はほとんどフランス人であり、よくフランス語を話していたので、またしても関係作りに困りました。また、年が明けてすぐくらいに新しいピソに引っ越し、シェアハウスでの生活にも慣れる必要があったので少し大変でした。しかし、同居人の方々がスペイン語を話す練習だと言ってよく話しかけたり、ご飯に誘ってくれたりしていたので、そこでだいぶスペイン語を話すことに抵抗感がなくなりました。金額も寮と比べると、ピソの方が圧倒的に安いのでもっと前からピソにしておけばよかったと思いました。また、自分から話すことへの抵抗感が薄れたので、スペイン語の授業を受けるのも楽になりました。
それから、フランスに友人と二人で旅行に行ったり、バルセロナに一人旅に行ったりしました。円安の影響もありたくさん旅行には行けませんでしたが、十分に楽しむことができました。EU圏内の学生は美術館の入場料が無料になるということを知って、なんとなく行った美術館がとてもよかったので、バルセロナやパリに行く機会がある方にはお勧めです。芸術方面に全く興味がなかった私でも、時代背景を考えさせられるような作品が沢山あって面白かったです。さらに、バルセロナには無印良品や、日本の方が経営するラーメン屋さんなど、日本を感じられる場所が多々ありました。パンプローナにあるラーメン屋さんはどれも少し不思議な味がしたことが多かったので、とても感動したことを覚えています。
終わりに
この留学を終えてから改めて思い返すと、がむしゃらに走り続けた10か月間でした。一つできることが増えるたびにまた一つできないことが見つかるということの繰り返しで、留学に来てよかったと思う日も、日本に帰りたいと涙が出そうになる日もありました。しかし、帰国してからは、何があってもこの留学を乗り越えてきた自分ならできると考えられるようになりました。留学に行って本当によかったと感じています。改めて約10か月間ありがとうございました。
以下写真です。
1. 初めて雨が降った日

2. 秋の大学前通路

3. クリスマス時の町の広場
