10か月間の留学もついに帰国の時期となりました。今回はテスト期間から帰国までについて書いていきます。
授業について
スペイン語のラスト二回の授業は、普段のクラスメイトに新たな留学生数名を加えて親睦会の様なものをしました。用意されていたジュースとお菓子をいただきながら、自己紹介をしたり簡単なゲームをしたりしました。また、スペイン語の授業の期末テストは、筆記と口頭の試験の二つで日程が分かれていました。筆記のテストではこれまでの授業で学んできた時制を使った問題がメインでした。口頭試験は、決められたテーマについてペアで賛成と反対意見に分かれて話し合うというものでした。テストと追試期間は5月にありました。
英語の授業は今まで通りの通常授業がテスト前まで続きました。こちらはWriting, Listening, Reading, UOE (Use of English), Speakingの五つのセクションに分けて、個別で評価されました。Writing, Listening, Reading, UOE (Use of English)の四つは、秋学期同様パソコンルームを使って行われました。入室の際に学生証の提示を求められることと、席順は自由ですが、各列によって受けるテストの順番が指定されることに注意が必要です。また、それぞれのテストに合格ラインがあり、合計点数が良くてもいづれかのセクションが合格ラインに達していない場合、そのセクションのみ再テストを受ける必要があります。Speakingのテストでは、事前にテストを受ける際のペアに希望がある人はメールか口頭で伝えればそのペアでテストを受けることが可能でした。私は、現地の学生の英語を聞き取ることが多少困難であったため、一緒に授業を受けていた台湾人の友人とペアにしてもらいました。この時に改めて同じアジア圏の人たちの英語の方が聞き取りやすいと感じました。こちらの授業も追試期間を六月の前半に設けていましたが、多くの留学生は追試期間に入る前に帰国、または帰国前の旅行に出発していました。帰国前に旅行に行く学生がとても多かったことに驚きました。
ピソでの生活
帰国の飛行機とバルセロナに向かう日程が決まったので、大家さんに報告しました。大家さんにもよりますが、私の住んでいたピソは、最後の月は日割り換算で家賃を計算していただけました。デポジットが返ってくることをすっかり忘れていたので、想定外の収入となりました。他のピソに住んでいる友人たちから、デポジットを返してもらえないというトラブルがあったということも聞きました。日本とは違い、スペインではほとんどの場合デポジット満額返ってくることが多いそうです。一方、私の友人は、現地の友人に助けを求め、大家さんとのやり取りを代わりにしてもらっていました。やはり難しい話になるので、頼れるスペイン語ネイティブの友人を作っておくことの大切さを感じました。
帰国前には、大家さんが車を出して近場のフランスへ連れて行ってくれました。パスポートを持って行ったのですが、車だと何の検閲もなく国境を越えたので、EU圏内だからとはわかっていましたが、とても不思議な気持ちになりました。フランスとスペインの国境沿いのスーパーには、両国のお菓子や食材が売っていたので、とても楽しかったです。また、ピソの同居人たちに巻き寿司を作ったり、ウクライナ料理を食べさせてもらったりとたくさん交流させていただきました。寮にいたままでは、確実に私の語学力はここまで伸びなかったと感じるので、私を受け入れてくださった大家さん、並びに常に気にかけ話しかけていただいた同居人、常に私を癒してくれた同居猫のお二人と一匹にはとても感謝しています。帰国後もSNSを通じて交流を続けられたらと思います。
帰国の流れ
私は夜行バスを使ってバルセロナに行き、ドミトリーで一泊してからフィンランド経由の便に乗って帰国しました。スーツケースとリュック(手荷物)の二つを持ってバスターミナルからドミトリーまで歩く辛さを十ヶ月ぶりに思い出し、安さを優先して少し遠いドミトリーにしたことを少し後悔しました。スペインの道は、基本的にガタガタしている場所が多いので、15キロ以上のスーツケースを持って移動することはお勧めしません。また、荷物の重さを事前に確認できる場所は空港には無いので、現地の友人などに確認しておくといいと思います。私はほとんどの友人が私よりも先に帰国や旅行に行ってしまったため、ぶっつけ本番で空港のチェックインカウンターで測ってもらいましたが、21キロに収まっていたので良かったです。スペインに来るときは格安航空券を購入していましたが、帰国にはJALを利用しました。空港内で流暢な日本語のアナウンスが流れてきたときは少し泣きそうになりました。乗り継ぎに利用したフィンランドのヘルシンキ空港では、ラーメン屋さんがあり誘惑に負けそうになりましたが、帰国まで耐えることができました。
以下写真です。
1. お世話になった部屋

2. ヘルシンキ空港

3. ヘルシンキ空港内にあるラーメン屋
