曲阜師範大学(2018年度交換留学生)国際文化学専攻2年 中村光里 <5号 2018年11~12月>


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ごあいさつ

 新年を迎えると同時に、留学生活ももうすぐ終了します。大学生活の10カ月という短い期間でこれほどまで沢山の経験ができ、充実させることができるのだと、幸せな気持ちでいっぱいです。しかし、その分時間が過ぎるのも早く、中国で知り合えた友人や先生たちとお別れすることは、やはりとても寂しく、現在、帰国して家族に会える嬉しさと、中国を離れなければならないもどかしさが葛藤し、複雑な心境です。11・12月は、週末を利用して1人で主要都市へ行き、数多くの刺激を受けた日々でした。計画を変更し、10月に考えていた場所への旅行ではありませんでしたが、理由も含めてこれから紹介していきます。

北京一人旅

 非常に単純ですが、私には「留学中にやってみたいこと」がありました。それは「1人で中国の主要都市を旅行すること」です。おそらく帰国後はなかなか海外旅行をする機会が減ると思いますし、何よりも中国へ留学しているからには、世界中誰もが知っているような場所へも行っておくべきではないのだろうかとふと思い、後悔しないためにも旅行の計画を立て始めました。
 まず私が選んだ旅行先は、中国首都「北京」です。国内外問わず多くの旅行客が訪れている場所は上海や西安だと思いますが、中華人民共和国という国家の中心都市はやはり北京だと思い、週末を利用して、天安門広場・故宮博物館・北海公園・前門大街・天壇公園を観光しました。
 中国政府直轄地ということもあり、道がとても清潔で整っていて、建造物も近未来的・歴史的なものが混ざり合い、特色のある景観が印象的でした。また、電子マネーで統一されている江蘇省とは異なり、観光地の多くが現金支払いのみになっていることにも意外に思いました。更に、特に天安門周辺の警備はとても厳重で、何度も持ち物検査やパスポートの確認を求められたことも、いまだかつて経験したことのないものでした。
 夕方に天安門前の歩道を歩いていると、偶然にも天安門から隊列を組んだ軍人たちが出て来て、広場で国旗降納式が行われていました。普段ニュースで見かけるような光景が目の前に広がり、国旗が降ろされると、広場と天安門に明かりがつき、夜の北京が一瞬で変化しました。昼間の景色とはまた違った夜景もとても美しく、充実した旅行になりました。

明かりがともった天安門と広場

 旅行時に予約した駅構内にあるホテルが面白かったので、少し紹介します。ホテルの部屋は最低限のものがあるだけでいいので、駅に近く、かつ安価で外国人も利用できるホテル(外国人は利用できないホテルもある)を選びました。チェックインのときに角部屋の窓に問題があると言われましたが、壊れて風が入ってきてしまっても構わないと思い、問題ないと答え、その部屋を確認しました。すると、窓が壊れているわけではなく、壁の大部分が窓だったのです。なぜかユニットバスのところにも窓があり、中から駅構内を見ることができます。カーテンがあるので閉めてしまえば全く問題ありませんが、いまだ遭遇したことのない部屋の構造にとても驚きました。

実際に泊まったホテルの部屋

南京一人旅

 本来、北京旅行から少し時間を置いた後、西安や上海などの都市へ行こうと考えていましたが、中国人の友人たちと交流するにつれ、南京へ行ってみたいと強く思うようになりました。それは、私たちがおそらく歴史の授業で多少は耳にしたことがある「南京大虐殺」が理由としてあります。現在、中国の世論が持つ、日本人に対して抱く主なマイナスイメージが、この事件に関与しているように思われます。中国国民は、特に南京市民はこの歴史を重く受け止めています。友人たちと交流するにつれ、南京にこの大虐殺の歴史を記録・保存・継承していくために建てられた記念館があることを知るようになりました。そこで、実際に南京へ行き、その記念館を見学し、そこにある犠牲になった人たちの慰霊碑に黙祷をすることを心に決め、急きょ南京旅行を計画しました。本当は12月21日に行く予定でしたが、12月13日に大虐殺事件の慰霊祭があったばかりで、南京市民は少し感傷的になっているため、このタイミングで日本人が行くのは危険だと先生や友人から止められました。また、ある先生は知り合いの日本人何人かが南京の道端で見知らぬ人から熱湯をかけられたり、タクシーの乗車拒否をされたりしたことを教えてくれました。確かに、もし南京市民が、私が日本人であるとわかったら、ある人は家族を殺された遺族の葬儀に殺人犯が来るような複雑な感情を覚えるかもしれません。しかし、やはり一度は南京に足を運びたいと思ったため、事務室の先生と相談し、クリスマスや元旦が過ぎて、皆気持ちが晴れやかになった後の1月4日から6日までの2泊3日に予定を変更しました。私が思っていた以上にこの歴史問題が重いものであることに気付かされ、現地の人たちの気持ちをしっかりと考慮できなかったことを反省する出来事となりました。
 そして、先生たちと日本語はなるべく口にしないことを約束し、南京へ出発しました。元々中国で母国語はなるべく話さないようにしていますし、かつ1人の旅行なので、しゃべることはまずありません。
 今回の目的は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館」で黙祷することと館内の展示を見ることに重点を置いていたので、訪れる他の観光地は少なめにしました。記念館・夫子廟・總統府に足を運びました。
 記念館は全て無料で開放されていて、キャプションは、中国語・英語・日本語で書かれています。広い庭園内には多くの戦時中の様子を表現したモニュメントが置かれ、館内には大きく分けて3つの展示会場があり、どれも日本軍の侵略によりどれだけ悲惨な事件が起きたのか、抗日戦争と第二次世界大戦に「勝利」した中国はどのように発展したのかを訴えるものばかりでした。中国のこのような施設は、日本の歴史博物館のように客観性を重視した展示をし、それについてどのような意見を持つかは来館者にゆだねるというものではなく、施設自体が意見・考えを展示物という資料を用いて伝える傾向があるため、日本のような形式しか知らない私は少し新鮮な気持ちになりました。また、観光客だけでなく、数多くの学校では学生たちを連れて見学にこの施設へ来るようで、ここは国民にとって一種の歴史教育の現場となっているようでした。つまり、彼らがなぜ日本に対して歴史問題を深刻に考えるのかについての根幹的な部分にもなっているのです。私はここを訪れ、中国の人々がどのようなものを見て歴史を学んでいるのかを知ったことで、少しだけ彼らの考えを理解できたような気がしました。そして、このように彼らの価値観や思想の核となる部分を少しずつ垣間見ることが本当の「理解」につながるのだろうと、国際学的なことを考えさせられた旅行でした。
 日中の歴史観は現在食い違う部分があるようですが、私はどれが正史なのか分かりません。しかし、戦争によって日中どちらでも沢山の人が亡くなり、生き残った人も精神面・肉体面に後遺症が残ったことは確かです。この場所で自分が日本人として黙祷をしたことで、中国へ留学に来て本当によかったと思うことができました。
 南京旅行の際、初めて民宿を利用してみました。民宿先は集合団地にあるアパートの中だったため、なかなか見つからず、近くにいた青年に道を尋ねると、彼は親切に団地内のコンビニエンスストアまで私を連れていき、店員の女性に場所を聞き、民宿先を見つけ出してくれました。案内され、民宿先に着くと部屋を提供してくれたご主人とその飼い犬があたたかく私を歓迎してくれ、彼らと2泊3日を楽しく過ごすことができました。

記念館外にある慰霊碑

曲阜のクリスマス

 中国の大都市では近年クリスマスにちなんだ催しが増えつつありますが、日本やキリスト教徒の多い国のように盛んではありません。特に曲阜市はほとんどその様子が見受けられません。しかし、クリスマスイブにリンゴをプレゼントするという中国特有の習慣があり、これは曲阜市内の果物屋さんにもありました。中国語でクリスマスイブは平安節と呼ばれ、中国語のリンゴ(苹果)という言葉に「平」が入っているためこの習慣が生まれたそうです。私も友人からリンゴをもらいました。

クリスマスイブプレゼント

帰国に向けて

 現在、帰国のための荷物整理やHSK(中国語能力試験)の準備で大忙しです。次の学期からも新しい日本人留学生が来ると聞いたので、彼女たちに渡すことができる生活用品をまとめています。食器類・調味料・調理器具・ハンガー・部屋干し用の物干し竿・扇風機・ドライヤー・お湯くみ用の大きな水筒等を宿舎の先生に預ける予定です。毎年派遣された学生たちが生活用品を残してくれていることに感謝していたため、自分もその活動に加わることで、恩返しができたらと考えています。
 曲阜師範大学は宿舎・授業共に環境がよく、先生方もとても優しく相談に乗ってくれます。大学側が留学生に中国人学生との交流を提供しない代わりに私たちは自分でその機会を作ることで積極性や交流のノウハウが自然と身についていきます。更にほとんどの学生が日本語を話せないため、中国語を使う機会は沢山あります。食も「魯菜(山東料理)」という味付けが塩辛くされるという地域であるため、日本人の味覚に近いものがあるように思います。もし中国語を身につけたいと考えるならば、ここでの留学生活は絶好の場所となるでしょう。
 これまで報告書をご覧くださった方々、お世話になった山口県立大学高等教育センターの職員、そして留学を認めてくれた先生たちと両親に改めて感謝の言葉を伝えたいと思います。本当にありがとうございました。