曲阜師範大学(2018年度交換留学生)国際文化学専攻2年 中村光里<3号 2018年7~8月>


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ごあいさつ

 この夏は台風が頻繁に発生し、日本や中国に数多く上陸しました。常に天気予報をチェックして台風の進路を予測し、洗濯物を干す日の調整や一度に幾日分かの買い物をするなどの対策を取っていましたが、隣の省で被害を出した台風が山東省に来るまでに熱帯低気圧に変わってしまうことがほとんどで、中国大陸の広大さを実感しました。
 7・8月は夏休みを利用し日本に帰国もしましたが、夏休みの約半分を中国で過ごしました。その中で、特別な出会いが多くあり、私の留学生活の中でも特に印象に残る日々となりました。

韓国人留学生と政治的な話をしてみた

 韓国人留学生の女の子と親友とも呼べるような関係を築くことができました。私たちは普段一緒にごはんを作って食べたり、どちらかの部屋で雑談したりすることが多かったのですが、その雑談の中で、中国とお互いの国の関係がどのようなものなのかを話す機会がありました。そこで数年前に話題になった尖閣諸島の話をしようとした時に、島の名前を中国語でどう言うのか調べていると、彼女は「あ!もしかして独島(どくと)!?」と言いました。独島は日本では竹島と言われている場所で、韓国と領土をめぐって議論されています。韓国語では独島(どくと)と発音することを学科生の時に授業で学んだことがあったため、意味を理解することはできました。独島ではなく他の島だと説明はしましたが、その後お互いに興味が日韓の独島竹島問題にそれてしまい、日韓の政治的な話をすることになりました。
 各国の留学生と生活する中で、少しずつ見えてきたのですが、韓国人留学生たちは普段の生活で他者の文化や価値観を理解し尊重する人が多いように感じます。しかし、その反面自国への愛情が強くもあります。私たちが授業を受ける各教室には中国地図が貼られていて、その中には日本と韓国も描かれています。ある教室の地図をよく見てみると地図上の「竹島」と書かれた部分が黒く塗り潰され、その上に「独島(韓国)」と書き足されてあった時は少し驚きました。特定の愛国心が強い人だけがそのようにするのではなく、領土問題を深刻に考えている人がほとんどのようでした。しかし、だからといって「日本が嫌い」というわけではなく、「文化」と「政治問題」を区別して考えているような印象を受けました。
 話を戻しますが、親友は異文化を理解しようと努める優しい女の子で、かつ冷静に客観的・論理的に物事を考えることができる子です。中国留学をする前はオーストラリアへの留学経験もあり、グローバル人材のような学生です。しかし、この独島竹島の話をした際、その温和な彼女でさえ「韓国では老若男女問わずあの島の歴史と貴重さを学んでいます。とても大切な島でずっと訴え続けているのに...。」と島への愛情と島が譲渡されることの願いを語っていました。反対にほとんどこの問題について考えたことのない私はかける言葉が見つかりませんでした。日本では、韓国人が独島についてどれだけ学び、歴史を見つめてきたかをあまり知る機会がありませんでした。私はこの旨を正直に伝えると彼女は「え、日本ではそこまであの島に愛着ないの!?」と驚かれてしまいました。
 このような話をした以降も特に私たちの関係は変わらず過ごしていますが、私は自分の政治問題への関心のなさを悔いています。異なる国の人たちが大切にしていることや大切にしているがゆえに感情的になってしまうことには理由があり、それは彼らの生活してきた時間の中で培われた価値観が背景にあります。それを理解するためには彼らと直接交流することが最も効果的だと痛感しました。遠くからその様子を見て無関心でいてはいつまでも日本人としての価値観から抜け出すことができません。私たちはあの会話によってどちらが悪いという結論を出すことはありませんでしたし、互いに責め合うこともしませんでした。ただ、各々の思いを共有しただけです。この体験を通じて異文化の方々に対してどう敬意を表すべきかをほんの少しだけですが学べたような気がします。

1人きりの宿舎

 夏休み前になると半年間の留学を終えほとんどの留学生が帰国します。私のように1年間留学する学生も夏休み期間は帰国し、新学期に戻って来るため、7月上旬は宿舎に私だけが残る形となりました。中国の学生たちも帰省する人が多く、大学内で暮らすおじいさんおばあさんたちが外で麻雀やトランプをしていたり、歓談していたりする様子をよく目にするようになりました。この頃、特におばあさんによく話しかけられました。携帯電話の操作方法がよく分からない、年齢はいくつに見えるか等、日本のおばあさんたちとあまり変わらないような、かわいらしい話題が多かったです。
 大学が静かになったことで、7月は1人で散歩したり、宿舎に残っていた中国人の友人たちとごはんを作ったりと、のんびりと過ごしていました。遠くへ旅行したかったのですが、お金の残高が少し不安(NEOカード内にお金がまだ残っていたのですが、うまく引き出せなくなってしまったの)で、8月に帰国するまで節約生活をしていました。孔子文化節というお祭りの中心となる孔廟へは大学から徒歩約30分で到着することができ、外国人は5つの論語を暗唱することができれば無料で入場できるため再び訪れたり、その付近にある五馬祠街を訪れたりしていました。五馬祠街は明の時代後半以降に建てられた孔子の子孫たちの祠や建物が残る歴史的繁華街で、曲阜市の観光地です。様々な場所を散歩していくうちに、身近な場所にたくさんの歴史や素敵なもの、価値あるものがあふれていることを感じました。
 また、7月半ば、誰もいない宿舎に新しい学生が早めに来ました。アフリカからの留学生であり、3カ月ほど、既に日照で中国語を勉強していたようです。彼とは英語と中国語を交えてコミュニケーションをとっていましたが、中国語に集中するあまりに、英語があまり出てこなくなってしまった自分に少し驚きました。そのため、中国語と同時に英語の勉強も彼とするようになりました。

友人が作ってくれた中国の家庭料理
(左)調理中の様子 (右)京醤ロースとトマトと卵のスープ、すごく美味しい!

空港での大失敗

 本来は夏休みもずっと中国で過ごす予定でしたが、金銭問題や親戚のお見舞いのために急きょ帰国することになりました。済南空港から大連空港を経由して名古屋国際空港へ到着する便を使いました。大連空港に着いた後、一夜明けて、朝の便で名古屋へ出発しますが、大連空港は深夜1時になると閉業します。お金をあまり使いたくなかった私はホテルを使わず、空港の外で一夜を明かしました。同じような境遇の若者たちがいて、彼らと過ごしました。
 これは失敗談ですが、一度閉業した翌日にまた空港を利用する際は、必ず預けた荷物を一度回収しなければなりません。しかし私はそれを忘れ、空港内に荷物を預けたままにしてしまいました。そのため、大連空港を出発する際、チェックインカウンターで、預かり荷物は名古屋まで運んでくれるのかと念のため尋ねると、「いや、自分で取りに行かなくちゃいけない。早く持ってきなさい、7時までにできる?」と言われ、すぐに取りに行ったことがあります。元々チェックインが始まる時間も遅く、残り時間はあと30分だけということもあり、かなり焦っていました。もうダメかと思いましたが、空港内を全力で走り、荷物預かり所を職員の方に聞きまくり、場所を行ったり来たりして、やっと預けられている場所までたどり着くことができました。荷物を取り出してくれた方々に自分の状況を率直に説明すると、落ち着いて対応してくれました。道を教えてくれた職員の皆さんや冷静に対応してくれた係員の方々には感謝してもしきれません。荷物を受け取った後はすぐにカウンターまで走り、無事にチェックインを済ませることができました。
 このように、うっかり失敗してしまうことがありましたが、そうなった時は反省や焦った感情を後回しにし、知らない土地ではとにかく打開策を見つけるために人に相談することの大切さを知りました。今まで培ってきた中国語の能力がここでうまく発揮されたように感じます。

飛行機の中で~国際結婚をした女性とその娘さん~

 無事に乗ることができた名古屋行きの機内で、1人の女性とその小さな娘さんと座席が隣同士になりました。女性は子供に綺麗な日本語と中国語で話しかけていたため、一見、中国語が話せる日本人だと思っていました。しかし、彼女は日本に8年在住している中国人女性であり、日本人の男性と結婚し、娘さんが生まれたということを知りました。1年ほど日本の大学へ留学をした経験もあり、日本語がとても上手でした。ご主人との出会いや日本での生活、留学生活や中国にいる両親のお話など、彼女の人生を日本語と中国語の両方を交えてでしたが、聞くことができました。微信(We Chat)の連絡先を交換した後、空港の到着口まで一緒に行き、彼女たちを待っていたご主人とも少し挨拶をして別れました。その後、彼女とは時折連絡を取り合っています。私の実家と彼女の家はさほど遠く離れてはいないため、留学後にまた会う約束をしました。
 語学を学ぶということは、ただ外国語の能力を身につけるだけではなく、この出会いのように、言葉の壁を失くし、相手のことを知り、交流を広げていくことに意味があるのだと語学留学の大切さを学んだ経験となりました。

バスの中で~5ユーロをくれた1人の青年~

 一時帰国を終えて、名古屋空港から上海国際空港に降りた後、高鉄(日本の新幹線のような列車)に乗るために空港から出ている高鉄駅行きのバスに乗りました。バス内では出発前に現金で30元(日本円で約510円)を払うのですが、私の隣に座っていた青年はちょうどの金額にするための5元を持っていなかったため、たまたま持っていた自分の5元をそっと彼に渡しました。彼はそのお礼に海外旅行先で使っていた5ユーロをくれました。道中彼はずっと親切に接してくれ、高鉄駅に着いた後、建物の構造が複雑すぎて乗り場や切符売り場の場所に困っていた私を丁寧に案内してくれました。おかげで少し早めの列車に乗ることができ、安心して曲阜にもどることができました。
 一概に全員がとは言えませんが、彼のように、中国人は一度心を開き友人になると、助けてくれたり、親切に対応してくれたりする人がとても多いように感じます。

実際にもらった5ユーロ

新学期に向けて

 新学期からは20人ほど、新留学生たちが各国から来ました。その際にもクラスを決めるための実力テストがあるのですが、前学期からいる学生もそのテストを受け、私はAクラス(高級)になりました。教科書は前学期と変わらず、同じものを使うことになり、前学期の復習という形で授業を受けることになりそうです。9月から新しい出会いがまた始まることに、期待と不安でいっぱいです。しかし、初めて中国に来た時に比べ、期待の気持ちが圧倒的に大きいです。HSK(中国漢語水平考試)対策・異文化交流・論文執筆を両立できるよう、引き続き頑張っていこうと思います。