ビショップス大学 国際文化学科4年 松尾彩花 <最終号>

はじめに

 最後の報告書となりました。今回は日本語教育の未来、カナダ(ケベック)のイメージの変化、多様性から学んだ「選択」の大切さ、後輩に伝えたいことの4つに分けて述べていきます。

日本語教育の未来

 「日本語教育の未来」というと壮大なテーマに聞こえますが、身近なところで言うと、日本語の勉強を始める大半の学生の入り口はアニメでした。私はあまり詳しくない方なのですが、アニメの持つ影響力の大きさを実感しました。それと同時に、日本への興味関心がそこで止まってほしくないという思いも芽生えました。アニメ以外の日本の様々な趣ある文化も伝えていくことが、日本語教師やTAの職務の一つだと思います。
 日本全体として考えると、少子高齢化に伴いこれからますます外国人に労働力を求めるようになります。外国人労働者数は2017年10月厚生労働省の調査で127万人と過去最高でした。昨年11月に閣議決定された単純労働を含む外国人労働者の受け入れ拡大を目的とした「出入国管理法改正案」(以下入管法)で大幅に増える可能性もあります。そうすると必然的に日本で生活を送る外国人が増加し、日本語教育の重要性が高まります。日本語教師は言語だけでなく、日本語を教えることを通じて日本人との関わり方など目に見えない文化を伝える仕事でもあるからです。日本で働く外国人が生活に順応するための手助けも担っているのです。しかし入管法が閣議決定されたにも関わらず、政府は日本語教育や日本語教員の育成にあまり関心を持っていないという現状があります。日本語教育の位置づけが明確に行われるために、日本語教育の重要性を社会全体で認識していく必要があると思います。

カナダ(ケベック)のイメージの変化!

 ケベックの約80%はフランス系カナダ人で、他州と比較すると独自の文化を持っています。そして植民地時代の経緯からイギリス系カナダ人と政治、社会、文化的な面で対立しています。高校の社会などでケベック問題に少し触れたことはありましたが、未だにここまでフランス系カナダ人とイギリス系カナダ人の溝が浮き彫りであることには驚きました。例えば、就職活動の際にフランス系の苗字が有利になったりするという話を聞いたり、「私はカナダ人じゃなくてケベック人だ」という言葉も頻繁に耳にしました。
 二つ目は多様性に関してのイメージで、カナダはモザイクの国とよく例えられるので(一見、モザイク模様のように様々な文化・民族が独立しているが、大きく見ると一つの国として調和がとれているため)、人種差別とは無縁な国だろうと想像をしていました。しかし友人と会話をしていると人種差別に感じる言動が多いことに気付きました。例えば、私が日に焼けた肌のことを「dark skin」ではなく間違えて「black skin」と言ってしまった時、カナダ人の友人はお腹を抱えて笑っていました。日本人の女子同士でよく「肌が白くなった」または「黒くなった」という話をするので、私にはそれが全く面白く感じませんでした。カナダの人々はそれだけ人種差別に関する言動に敏感なのだと感じました。
 三つ目は北アメリカとケベックの違いです。ここで友人が教えてくれたケベック文化の特徴を一つご紹介します。ある時、友人に「北アメリカの人はよく歯科矯正の器具を付けているよね」という話をしました。ケベック人の友人は、「確かにハリウッド映画に出ているスターたちは不自然なほど歯並びもスタイルも完璧だけど、ケベックの映画ではそういう俳優たちは少なくて、むしろ歯並びがきれいじゃなかったり、スタイルもそれぞれ違ったり、私たちの日常により近いんだよ」と教えてくれました。ケベックの文化は、もしかしたら、それ程遠くないところにあるのかもしれないと思った瞬間でした。

多様性から学んだ「選択」の大切さ

 留学体験記などでよく聞く話かもしれませんが、「みんなちがってみんないい」ということをひしひしと実感しました。まず、これはビショップス大学だけの特徴ではないのかもしれませんが、寮の造りがとても面白いと思いました。日本だと寮にはいくつかルールがあって、それを全員が守って生活するというイメージです。しかしビショップス大学の寮は、パーティー好きが集まる寮もあれば、24時間ずっと静かにしていなければいけない寮もあります。一人部屋もあれば二・三人以上の部屋もあり、寮のスタイルが多種多様でした。その他にもLGBT、ビーガン、ベジタリアンの人もとても多いです。また重症度に関わらず学習障害やハンデがあってテストを別部屋で受ける人は、日本と比較して圧倒的に多かったです。これらに共通しているのが、「人それぞれ違って当たり前」という考え方です。日本では農耕によって始まった集団生活や、現在の義務教育制度などにより、みんなが同じで当然だという潜在意識がどこかにあると思います。
 一人一人が違って当たり前のケベックにいると、自分の趣味嗜好やこれまで選択してきたものは果たして本当に自分の意志によるものだったのか、それとも周りの何かから無意識に、または意図的に影響されていたのかと考えさせられました。大小問わず、生活の中で人は「選択」をして生きていますが、それが人生に及ぼす影響力を改めて実感しました。それと同時に正しい選択をするためにわからないところはわかるまで調べるようになり、新しいことを勉強することが楽しくなりました。そうやって丁寧な選択を重ねていくうちに、常に自分の行動に自信や責任が持てるようになったと思います。

後輩に伝えたいこと

 日本への留学生を増やすことはTAの重要な職務の一つですが、そのためにもっと具体的に動くべきだったというのが反省の一つです。中間・期末試験が近づくと学生はそれどころではなくなるので、時期を見て日本人留学生との楽しい交流の場を設けたりするといいと思います。冬学期が終わってから、私は一・二年生向けにYPUへの留学案内を簡単な日本語と短い英語を使って作成しました。YPUから正式にビショップス大学に送られている留学案内や日本とカナダの旅行雑誌、経験者の声などを参考に作りましたが、学期が終わったあとで学生の反応も見られないまま帰国してしまったので、もっと早く取り組んでいればと思いました。
 二つ目は課外学習の内容です。後期から先生の提案で一年生向けに週に一度漢字のレッスンを開いていました。一つの教材を終えた時点で課外学習も終わりにしていましたが、漢字だけでなく、例えば助詞「に」「で」の違いから「~ている」「~てある」の違い、作文を書いたり小説を読んだり映画を観るなど、授業では時間の取れないレッスンをしたかったと後悔しています。授業中にすごろくやカードを使ってゲームをする際に、日本のお菓子を景品にすると学生のやる気が一段と上がります。安くて小さいお菓子などを持っていくと授業を一層盛り上げることができると思います。そして、自分の持ち時間は好きに挑戦できるので、しっかり準備した教材は自信をもって使ってみていいと思います。
 また、授業の準備の際に参考にしていた教材は『表現50』『初級日本語文法 教え方のポイント』(著:市川保子)『どんなときどう使う 日本語表現文型辞典』(著:友松、和栗、宮本)です。
 最後にJSE301、302(三年生の授業)の面白さをもっと宣伝したかったという後悔があります。JSE101、102(げんきⅠ、一年生)、201、202(げんきⅡ、二年生)では日本語を勉強しますが、JSE301、302では日本語を使って日本の文化を勉強することができるからです。そこでは日本のテレビドラマや小説、映画、JLPT(日本語能力試験)の対策本を用いて色々な角度から勉強することができます。日本に留学に行くことに越したことはないですが、行けないまたは行かない選択をした学生でも、日本語を勉強して良かったと思える教材が準備されています。その分JSE301、302のレベルは低くはないため、誰もが受けられるわけではないですが、たくさんの学生に受けてほしいと思いました。
 これは余談ですが、1年の内数ヶ月間は、積もった雪に太陽が反射して視覚に入り、晴れの日は特に頭痛に悩まされることが多かったので、サングラスを持参するか購入することをおすすめします。

終わりに

 私は物心ついた時から、世界平和のために貢献できる人間になりたいという漠然とした目標がありました。自身が日本語教育を通して、日本の文化やケベックの文化など様々なことを学生と共に学びたい、国際色豊かなビショップス大学で友人をたくさん作り、その友人の出身国の文化に見識を深めたいという理由でTAの応募に至りました。日本語教師を目指して応募したわけではありませんでしたが、私の目的は想像以上に達成できたと思っています。もちろんたった8ヶ月過ごしただけなので、ケベックやカナダの文化が全てわかったと思っているわけではなく、私が見て感じたものはほんの一部だと思います。しかし、日本語教師を目指している人、ただ興味があって日本語教育関連の授業を受けている人でも、しっかりとした目的があれば必ず行って良かったと思える経験になると思います。ここで得た経験をこれからの学びに活かしていくと同時に、将来は私の生まれ育った長崎と、大学生活の四年間を学び過ごした山口に何か還元できるような人になりたいです。

参考文献
・石井恵理子(2018)『受け入れの制度設計に関する意見書』
・日本経済新聞「入管法改正案を閣議決定 単純労働で外国人受け入れへ」(2018)


日本語合唱クラブのメンバー


日沢先生に教えてもらった湖のほとりにあるレストラン


「くるみ割り人形」を観劇した時の感動は、今でも鮮明に覚えています